カゾクノテツガク1

三年前のある日四角い部屋にてだれかに

 

 

あの時わたしはもうこの部屋で死ぬほかないのだと思っていました。こんなに絶望的な気分になったのは初めてでした。一度見失ってしまうと外に出る理由なんてどこにも見当たらなくなってしまいました。

否、実は初めてなどではなくて、今までずっと抱えていた感情に気付いただけかもしれませんでした。

 別にこの部屋にいたいわけではなくて、むしろこの場所は嫌いでした。目に見えるもの、傍にあるもの、すべてが肌になじみませんでした。なぜ出ていかないのかというと、外に行く理由も特になかったのと、この様な自分が生きていく場所など部屋の外にはないと思っていたからでした。

 

 なぜ私が生きていていいのかというと、親の要求に答えているからだと思っていました。いま、この部屋も、両親からの仕送りがないと私のいていい場所ではありません。いるための条件は家賃が払えることです。生活の軸を他人に頼っていることに恐ろしくなり、自分でアルバイトもしましたが、それだけで生活にかかる費用を全てまかなうことは到底無理に思えました。その上、アルバイトで課される仕事は、ほかの人にとっては容易くても私にとって非常に困難で、回数を重ねるたびに自信が失われ、自分が小さく小さくなっていくのを感じました。

 

 生活費を稼ぐことができないのなら、せめて期待通り大学で優秀な成績を修めて順当に卒業したかったのですが、それもできそうにないということを自覚しつつありました。

 建築学を学んでいましたが、「これが良い」と言われる建物の何がいいのかさっぱりわかりませんでした。自分の思うように作れと言われても、果たして自分が何を思っているのか、何を良いと思っているのか? わからないので、作るべきものが見えたことはありませんでした。いつも自分でもよく分からないものを出して、よく分からない評価をもらいました。今迄の決まった答を出せば丸がもらえたのとは違う世界。価値観という目に見えないもの。良い悪いの基準。すべて曖昧で、何を出しても混乱しました。皆が批評し合っている言葉が異国語のように思えて遠い所に来てしまったような気がしました。実際、実家から遠く離れた北の国に来ていたのですが。

 

 卒業ができないならば、自分自身で収入を得て生きていかなければと思うのですが、その小さな一歩のアルバイトではもはや自信を砕かれていたので前向きになれませんでした。更に、就職となると、スーツを着て、面接をして……?アルバイトでさえこの体たらくの自分に、一体何ができるというのか。面接で聞かれて、この自分を働き手として勧められる意味が、全くわかりませんでした。もちろん働くことなど言うまでもなく。

 

 生きていくための収入を得る手段も、生かしてくれる期待に沿うこともできない。この人間はいったい何なのでしょう?

 

 唯一の生きていく意味は身体を動かすことでした。当時武道を通して得られる気づきが、私に大きな喜びをもたらしてくれていました。身体が教えてくれたのは、様々な秩序の発見でした。このように動けば、こうなる。当時、周りの曖昧さに混乱し悩まされていた私にとってそれはただ一つの道標のようなものでした。こうすればこう動ける。相手に力が伝わる。自分の思い通りに動ける。唯一、曖昧な世界の中で思い通りになることでした。

しかしある時、私は事故で左肩を脱臼し、自由に動けなくなりました。一ヶ月ほど、腕を固定して過ごしました。痛みが与える不安。動かない腕を抱えて、今の自分にはできる護身の術がない無力感。何より、伸びた靭帯は二度と戻らないと言われた時の絶望感。限りなく近いことはできても、思い通りには二度と動かせない身体になってしまいました。

身体にだけは寄せていた信頼はあのとき引き裂かれました。道標はなくなりふたたび全て曖昧さの中に投げ込まれて、私は考え事をしていました。

 

 あの時四角い部屋で私は答えが欲しかった。こうすれば大丈夫という秩序が。何があれば生きていけるのか。