疑問点1.金がなければ本当に死ぬのだろうか?

生きるためには生活しなければならない。生活には金がかかる。とすれば、金がなければ生きられない。

けれどその生活って本当に必要なのだろうか、と思った。

 

生きるために、絶対しなければいけないことはなにか?それが減ればかかる金も減るのではないか?
とりあえず生活にかかる費用を書き出してみた。

 


・食費・交際費
・学校での食費・模型材料費
・部活動費用

 

・家賃

水道光熱費

・ネット料金

 


 この中でも努力で変化させられる部分と、努力ではほぼ変わらない、もしくはまったく変えることができない部分があるということが、書き出してみるとわかった。後者に注目してみると、更にその中では、家賃の割合が半分以上を占める。
 そのとき真っ先に思ったのが、「この家賃必要?」だった。更に「家賃払わなくてよかったら生活費減ってラクなんじゃないか」と思った。

 


疑問点1.1 家がなければ死ぬのだろうか?
実際に家が無くなってから気が付いたが、多くの人は疑問にすら思わないらしい。だが、当時の私には反論材料が二つあった。


一つは、その時の自分の暮らし方だったが、建築学部の2年生後期から、学生はめちゃくちゃ忙しかった。忙しすぎて家に帰る暇がなく、提出前には二日ぐらい学校にほぼ泊まり込みも普通だった(3日いたこともある)。
また、作業室に寝袋を持ち込んでいる同期も多く、学校にほぼ住んでいるんじゃないかと思う人もいた。それを見ていると、なんか、あの家賃を払って、ほぼ寝るだけの家の存在意義っていったい何なんだろうなあと思うのは自然なことだった。


加えて、学業だけならまだ余裕があったかもしれないが、部活も熱中するタイプだったのですごくはまりこんでしまい、ほぼ毎日武道場にいて閉館22時まで練習していた。土日も練習はあったし、更に大会前には「合宿体制」というシステムがあって武道場に泊まり込んでいつまでも練習してもいいという、今思えば若干気の狂った制度があった。私はそういう頭がおかしい制度は大好きなので、合宿体制の最中は夜中の遅くまで武道場で一人でも練習していた。

当然家で過ごす時間はさらに少なくなり、家でやることといえば寝ることくらいになってしまった。


この時も、「あれ?武道場はシャワーもあるし、管理人の目さえ誤魔化せばここに住めるんじゃないか・・?」と思った。

 

その様に生活の中での家の重要度の低さや身の回りにある設備の可能性に気づき、当たり前の様に持っていた『家』という存在に疑問を抱き始めた。

 


2つ目は、実際に家なしで生活している方を一人知っていたからだった。その方の名前は坂爪圭吾さん(http://ibaya.hatenablog.com)といい、その家なし生活の動向について、研ぎ澄まされた感性と文章力でブログを綴っておられたので、北国からその存在を知ることができていた。
その発想や、坂爪さんの感性に衝撃を受けて坂爪さんを心から尊敬しつつも、当時の私の形にならない思いを明確に文章化してくれているようで嬉しく思い、いつもブログを読んでいた。


ある日、ひょんなことから坂爪さんが札幌にお話をしに来ることになり、たまたま知っている場所だったので会いに行った。実際に目の前にいる坂爪さんに緊張しつつ、質問はありませんか?と聞かれた時に「女性でも家のない生活はできますか?」と聞いてみた。


返事は「できると思います」だった。そうなんだー。とおもった。

 その二つが重なった時にすごく思ったのが、「この家賃もろもろがなければ、ひと月に稼がなければならない費用って激減するなー。バイト苦手だけど3万なら稼げるかもしれない」「家がない生活ってやったことないから不安だけど、やったことないから本当に不安かも分からないなー。坂爪さんができるっていうならやってみようかなー」
 という感じで家を解約することになった。