新しい通信手段について

最近の父との会話を紹介します。

 

父は遠方に住んでて、ガラケーなので手段は電話による通話です。

 

 

父…公務員。59。まじめ。(たぶん。)鳥のプロ(きっと)。鶏の燻製がつくれる。動物の面倒見がいい。歴史の本を読むのと海で泳ぐのが好き。

退職したら猟師になりたいらしい。

 

 

 

TAKE1:私が四国の実家に友人…?というか尊敬してる人たちを連れて行きたいと言ったとき

 

私『これこれこうで、、こんな人たちを連れて行きたいのですが……』

父「……」

私『東京で誰でも使える家を運営してて…資金はクラウドファンディングで集めたり、人からもらったり云々』

父「いいけど…」

私『けど…?』

父「お前もっと、まだ学生なんだしそういう不安定な人等じゃなくてちゃんと仕事してる普通の大人とつきあえ」

私『!!!!!うわーーーーーーーーーーーーー(絶叫)!!!!!

おとーさんなんでそんなこというのーーーーーーーーーーー。゚(゚´ω`゚)゚。(号泣)!!!!

私の大事な人やのにーーーーーーーーそんな学生はいらんーーーーーーーもう学校やめるーーーーーーーーーーーー』

父「いやだからそういうことじゃなくて…(同じ内容繰り返し)」

私『うわーーーーーーーーーーーーーーーーん。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚(号泣)』

父「だから…(繰り返し)」

 

 

 

TAKE2:私が絵の展示で忙しいと言ったとき

父「最近は何してる」

私『えっと、、試験が終わりましたので、、来週から絵の展示があるから絵を描いてます』

父「……ちゃんと勉強せいよ。学生の本分というものは…(以下略)」

私『えーーーーーーーーー(絶叫)。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。なんでさいしょにお説教なのーーーーーーーーーー(号泣)

なんで試験の内容とか絵のこと聞く前にそんなん言うのーーーーーーわーーーーーーーん。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。』

父「いや、だから…(同じ内容繰り返し)」

私『。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。(号泣)』

 

 

こうして書いてみると完全にコントなんですけど…笑

本人たちは真剣です

 

 

で、不思議なのが、

文字だけで見るとただのケンカなんですけど

終わってからなぜか静かな心で「おとうさんありがとう。がんばるわ」ってなります。

何故か?

 

結局、本当に言いたいことと実際に言ってることは違ってるからだと思います。とくに父上は。

 

言ってること「ちゃんと仕事して収入がある人とつきあえ」

だけど、

→本当に言いたいこと『父は心配です。無理しないでね。いい人に囲まれて幸せに過ごしてください』

だよね。

 

 

で、私の返事も

言ってること「なんで大事な人やのにそんなこというのーーーー。゚(゚´ω`゚)゚。。゚(゚´ω`゚)゚。」

 

→本当に言いたいこと『心配ありがとうございます。私はいい人たちに囲まれて幸せに過ごしてるし、誰になんと言われても私は自分と周りの人を信用して大事にするよ(・∀・)大丈夫やで』

だよね。

 

ありがたいよね!おとうさん!!

 

 

じゃあ最初から本当に言いたいことで喋れやwwwって感じもしますし

心底、そうだね!って思いますけど、

なんか、

それはできないんですよね笑

多分、本当に言いたいことを口にして喋っても2人の間ではこんな感じにならないと思います。

逆にペラペラになるというか…。

他の人とはわからないけど。いまの友人たちとなら思ったことで喋れるかなぁ。

 

言い合ったあとで、全然父の疑問は解消されてないはずなのに父の返事「まあ来たらいいよ」になってたしね笑。

父上にも何かしら伝わっているのではないかと思います。

 

だからね、最近思うのは

こんなバカなこと言ったら呆れられるわー

とか

これ言い返したら喧嘩になるなー

とか、言ってもいいのかもね?って思います

特にすごく親しい人なら。

一見喧嘩になっても

言葉の外のコミュニケーションてやつができるかもしれないですね。ポイントはたぶん片方がハイハイってきかないことね。ケンカ嫌だけどね笑。

 

家族とか近い人とのコミュニケーションて難しいですけど、とりあえずこの様な方法で、かみ合ってないけどなんかわかる…みたいな感じを深めていきたいなぁと思います。

さいきんの悩みは大泣きしすぎて、壁が薄いアパートだから住人みんなに私の状況を知られてる気がして恥ずかしいから引っ越したい笑。

おわり

台風ですね

さいきん大きめの選択をしまして。

 

最初からネタばらししちゃうと就職先のことなんですけど。

そんな大きくもないか。周りにとってはしらんけど、自分にとってはふつうです。ふつう。

自分がずっと考えてたことと内容がぴったり重なってるし、

仕事するなら時間を売るんじゃなくてこんな感じがいいなァ・・・って思ってた通りだし、

社員のみなさんはキラキラしてるし(会社だけじゃなくて自分にも誇りを持ってるんだろうなっておもう)

社長は見たこともないほどお肌がキレイだし笑(心身のバランスがいい方なんだと思う。すてき)

ほんとにすばらしい選択をしたなーーと思います。巡り合わせに感謝です。感謝してもしきれないです。

 

ただ、

『父ちゃん母ちゃんになんて説明すればいいんだ??』

っていうのがずっとあります。

 

一言では説明しにくい…です……と私が思ってるだけかもしれないですけど

もちろん私自身は仕事内容にも関われることにも誇りを持ってますけど。

なんて言ったらいいかぜんぜんわからん。

 

例えるなら…未知の果物?みたいな??

 

『私も食べた事ないし剥き方もよくわからない、味も正直よくわからない謎の果物を、親と一緒に食べようとしている』

 

感じがします。(全然わからん)

 

 

最初は、

あまりにも、なんて説明したらいいかわからないので

これはもはや説明する必要がないのでは??

と思ってました。

謎の果物なんて自分だけで喰えばよくないですか???親が食べたいかどうかもわかんないのにねー。

 

だけど同時に、

私は、私の周りにいてくれる人には自分の状況とか私の考えてることをちゃんと説明しておきたいと思っている。

のです。

なぜなら、

何をやるにしてもそれが一番話が早いから。

やりたいことってめっちゃあるじゃないですか。私30まで生きるかわからんし。

最初から言っとけば、

私をいいなって思ってくれる人は近くにきてくれて、逆にこいつ何だと思ってる人は離れていって心地よい状態ができあがり

私が「あれしたい!」って言ったら協力者が秒で現れ

逆に「とき氏!これ得意だよね手伝って!」って言う人の願いに瞬時にこたえられる

という素晴らしい状況ができるじゃないですか。

 

あと

周りを信頼できるから。

正直に言ってるから、「この人は私のうわべだけを見て近づいているのではないか?」とか疑う必要がなくなり非常に居心地がいい。

大事な人のことは信頼して過ごしてたいです。

 

だから、ちゃんと周りの人には説明しとこうと思って気が付いたんです。

『親に言えないことは周りにも言えねぇ』

と。

 

 

・・・。

 

・・・・・・・。

 

えーーーーーー(´;ω;`)

 

 

ある人に

「なぜ父上は、私が絵の話をすると何よりも最初に『学業を優先しろ』と言うのか?? 私自身でなくて大学に通う娘にしか興味がないのだろうか??しょんぼり」

「なぜ実家にはこれほど自分の状況を説明し難いのだろうか? 普段仲のいい人とタイプが違う人だからかな???」

と言ったら、

 

『それは何故その活動をやってるか知りたいからだよ、なんで絵を描くのかを聞きたいだけだよ』

『タイプが違うとかじゃなくて言いにくいのは親だからだよ』

『親は一番感情が揺さぶられる相手だよ』

『だからこそ近い人間関係にいちばん関わってくるよ』

『俺、恋人の嫌だなって思うところぜんぶ母親の嫌なところと一緒だったよ笑』

 

っていうありがたーーーいお話をいただきました。

その人も最近色々乗り越えられたらしいんですけども。大パイセンです。

 

 

そう・・・私いまや、実家以外でこんなにモヤモヤする事案ないですよ笑

他の人だったらなんかうまい距離とれるもん。

それってすごいよね。

なんかあるよね。

 

 

 

いわなきゃいけないのかぁ。

 

 

 

 

って最近思っています。

 

 

 

 

 

はぁーーー!

やだーーーー!!

やりたくない!!!

もっと穏やかに生きていたい!!!

無難に平和に波風を立てず過ごしたい!!!

 

まだあったのか実家騒動。

本当に嫌。

今度は本当に嫌です笑

 

 

でもやんなきゃあ。

私にはやりたいことがありまして、

根本の問題がいつまでもついてまわって、親しい人の間でもめ事が起こるんだったら

さっさと解決して

親しい人とは親しいまま仲良く過ごしたいですよ。

ていうか両親とも仲良く過ごしたいですよ。やっぱり唯一の大事にしたいしされたい人だもんね。

 

自分のことを喋っておくってほんと強くて、

お金欲しい!って言ってたら

絵のお仕事とかお金が入ってくる事案をたくさんいただけるようになったし、

空腹で河原にいたら

おにぎりくれる人が現れるし、

お誕生日会してみたいって言ったら

『お~!やろうよ~!!』って計画してくれる人が現れるし、

装飾図案集が欲しいと言ってたら

あげるよって方が現れたし(実際にくれた人もいたし)

車あったらいいな~って言ってたら

『車、あげようか?』って人が現れるし(すごいよねwwwww)

その他多数。荷物持ってくれたりね。本当に、ありがとうございます。

 

かわりに私も色々お手伝いしたり、贈り物したりごちそうしたりあったんだろうね。

そゆことに自分とか自分のお金使えるのうれしいよね。

 

その幸せと、

実家と向き合いたくないこの苦しみはね、

セットですよ。笑

どっちかだけじゃだめなんだ。

 

 

私は、好きな絵が描けて歌がうまくなったらほかはぜんぶおまけだけど、

今年の目標は

結婚したいし子ども5人ぐらいほしいし笑

好きな時に歌える生活と一緒に過ごす人たちがほしいから、

そうやって願い事は常日頃口に出してたいし、

ちゃんと周りの人に言うために

やっぱちゃんと対決しよう。

そんで、

大好きな人たちと爆笑して過ごすぞ。

絶対だぞ。

 

 

 

そんな感じで

台風シーズンです

 

今後の予定

☆6/20〜7/8 個展『6月の住人』
Cafe pas a pas
〒001-0018 北海道札幌市北区北十八条西3丁目1-20 プレジオ18MS 1F

 

☆7/15 百鬼夜行の会にてボディーペイント担当

来てくれた人の顔に妖怪ペイントします(どんなのになりたいか相談可)。
@北27条 パキスタンカレーの店 つなぎ屋さん

 

☆7/16 コンカリーニョ夏祭りにて妖怪ペイント出店

ブースをいただいて劇場を使った夏祭りで妖怪ペイントします。おなじくどんなのになりたいか教えてください(・∀・)
@琴似コンカリーニョ

 

7/21 ミスチル&アートカフェ

一日中ミスチルの流れる空間で最高の珈琲がのめるという素晴らしい企画

@パキスタンカレーの店つなぎ屋さん

 

★星読み講座・自分で星を読んでみよう! イベント
@未定

 

★占い×科学?? 星読みと宇宙博士のコラボイベント。
@未定

 

↑7月中にやってみたいけど需要あるのかしら。(あれば教えてください!!!) 

 

 

※8/1 ときゆりか生誕祭

今年の一大イベントです。

 

☆8月頭  3人展

フォトグラファーと絵描きの高校生ふたりと展示させていただきます。

@パキスタンカレーの店 つなぎ屋さん

 

☆8/3-5 ススキノ夏祭りにてペイント

メインは別のお店だと思います!ペイント混ぜていただきます。

 

☆8/23-27 合同展示会『紅い花』
絵の展示
と、
民族楽器パフォーマンス(縄文太鼓とディジュリドゥと三味線…??)
@札幌市中央区

 

☆9/2-3 洞爺湖でのイベントLOVE TOYA にて琉球ヘナでのメヘンディのお手伝い
@洞爺湖

 

☆9月半ば 四国農業自然ツアー
@実家

 

☆10/8 札幌レインボーパレードにボディペインターで参加

 

☆10/9 新川カラオケ大会の余興で三味線弾かせていただきます。

 

そして、星読み依頼、お受けしてます。

(くわしくはこちら→http://kiminiasagahuru.hatenablog.com/entry/2017/06/09/193620

 

☆…決定
★…まだ決まってないけどやりたい

 

 

…だってさ!!
自分でも誰のスケジュールだよって思います。笑
でも忙しいの嫌いな自分だけどここにあること全部やりたい!!
それが一番すごい(・∀・)✨✨

 

自分でやろうって思ったこともあるけど、
声をかけてもらったこともたくさんあって
しかも、どれもめっちゃ楽しそうって心から思ってるのでほんとに幸せですわ。
10月のレインボーパレードで絵が描けるのはほんとに嬉しいなーーー。絵を描いててよかった。

 

 

今後とも生ぬるくどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m

疑問点2.期待に応えなければいけないのだろうか?

つまり、「期待に応えているから自分は生きているのだろうか?」「期待に応えているから仕送りをもらって生きていくことができているのだろうか?」「期待に応えない自分に生きる価値はあるのだろうか?」みたいなことだ。比べるためには“期待に応えている状態”と“期待に応えていない状態”の両方を比較する必要があるが、後者がどんなものか現時点でイメージができず判断がつかなかったので、なんとも答えることができなかった。そこで、「具体的に何の期待に応えようとしているのだろうか?」ということを考えた。

 

よく言われるのは「大学を卒業しろ」「大企業に就職しろ」そして暗に周りから言われたりばーちゃんがほろりと言うのが「結婚して家族を作れ」だった。これを叶えるのが期待に応えるということだろう。

 

 

疑問点2.1 大学に行かなければ死ぬのだろうか?

そもそもなぜ大学を卒業して欲しいかというと大卒という資格を持って安定した大企業に入ってほしいからであるので、「大学を卒業しろ」「大企業に就職しろ」はセットで考えることにする。

では、これができないと死ぬのだろうか?

いま卒業するかどうかを保留中の自分としては材料がなくて答えられない。そこで他の人を参考にしてみようと思った。

今迄周りにいた人は必然的に学生ばかりだったので、それ以外の立場の人たちも参考にしたいと思った。卒業して会社に勤めている人。卒業したけど会社じゃない所にいる人。卒業してない人。きっといろいろいるのだろう。そう考えたらなんで自分は会ったことないんだと思ってちょっと怖くなった。今いる場所って現実のほんの一部なんだなあと思った。そんなところでぐるぐる考えてる自分を恥じた。恥じたら変えるために行動しなくてはならない。

 

 

疑問点2.2 結婚しなければ死ぬのだろうか?

この点に関しては「まあしなくても死なないんだろうな」と最初から思っていた。周りからのプレッシャーもそんなにはなかったし、思うのは、仕送りは結婚して欲しくて送っているわけじゃないんだろうな。まあ、しない限り言われ続けて居心地悪いんだろうな。位だった。結論が出ていたので確かめる必要性も我がこととしてはあまり感じていなかった。

この様にあまり深く考えてなかったが、数か月後に大きな爆弾がここに落ちてくることになる。

焼け残りを見つけて今でもそれについて考えている。

 

 

大学を休学しようとはこのあたりで決めていた。やめちゃうと、疑問点2.1で「期待に応えてないと死ぬ」という結論が出たときに死ぬしかなくなり、ちょっとリスキーすぎるのでやめておこうと思った。

更に北大には休学中には学費が一切かからないという神のようなシステムがあり、これを知った瞬間にはもう半ば休学を決めていたような気がする。入学してからいちばん大学をすきになった瞬間だったかもしれない。

学費がかからないなら休学だろうが退学だろうが(正社員就職はできないかもしれないが)そんなに変わらない。

また、当時はアルバイトをしようと思っても学業があると時間や職種は限られ、自分の力だけで生活費を稼ぐことができるのか確かめられてなかったので、できるのかできないのか確かめたかった。

必要なのは確かめる期間だった。確かめるために色々行動してみたかったし、色々知りたいことがあった。

疑問点1.金がなければ本当に死ぬのだろうか?

生きるためには生活しなければならない。生活には金がかかる。とすれば、金がなければ生きられない。

けれどその生活って本当に必要なのだろうか、と思った。

 

生きるために、絶対しなければいけないことはなにか?それが減ればかかる金も減るのではないか?
とりあえず生活にかかる費用を書き出してみた。

 


・食費・交際費
・学校での食費・模型材料費
・部活動費用

 

・家賃

水道光熱費

・ネット料金

 


 この中でも努力で変化させられる部分と、努力ではほぼ変わらない、もしくはまったく変えることができない部分があるということが、書き出してみるとわかった。後者に注目してみると、更にその中では、家賃の割合が半分以上を占める。
 そのとき真っ先に思ったのが、「この家賃必要?」だった。更に「家賃払わなくてよかったら生活費減ってラクなんじゃないか」と思った。

 


疑問点1.1 家がなければ死ぬのだろうか?
実際に家が無くなってから気が付いたが、多くの人は疑問にすら思わないらしい。だが、当時の私には反論材料が二つあった。


一つは、その時の自分の暮らし方だったが、建築学部の2年生後期から、学生はめちゃくちゃ忙しかった。忙しすぎて家に帰る暇がなく、提出前には二日ぐらい学校にほぼ泊まり込みも普通だった(3日いたこともある)。
また、作業室に寝袋を持ち込んでいる同期も多く、学校にほぼ住んでいるんじゃないかと思う人もいた。それを見ていると、なんか、あの家賃を払って、ほぼ寝るだけの家の存在意義っていったい何なんだろうなあと思うのは自然なことだった。


加えて、学業だけならまだ余裕があったかもしれないが、部活も熱中するタイプだったのですごくはまりこんでしまい、ほぼ毎日武道場にいて閉館22時まで練習していた。土日も練習はあったし、更に大会前には「合宿体制」というシステムがあって武道場に泊まり込んでいつまでも練習してもいいという、今思えば若干気の狂った制度があった。私はそういう頭がおかしい制度は大好きなので、合宿体制の最中は夜中の遅くまで武道場で一人でも練習していた。

当然家で過ごす時間はさらに少なくなり、家でやることといえば寝ることくらいになってしまった。


この時も、「あれ?武道場はシャワーもあるし、管理人の目さえ誤魔化せばここに住めるんじゃないか・・?」と思った。

 

その様に生活の中での家の重要度の低さや身の回りにある設備の可能性に気づき、当たり前の様に持っていた『家』という存在に疑問を抱き始めた。

 


2つ目は、実際に家なしで生活している方を一人知っていたからだった。その方の名前は坂爪圭吾さん(http://ibaya.hatenablog.com)といい、その家なし生活の動向について、研ぎ澄まされた感性と文章力でブログを綴っておられたので、北国からその存在を知ることができていた。
その発想や、坂爪さんの感性に衝撃を受けて坂爪さんを心から尊敬しつつも、当時の私の形にならない思いを明確に文章化してくれているようで嬉しく思い、いつもブログを読んでいた。


ある日、ひょんなことから坂爪さんが札幌にお話をしに来ることになり、たまたま知っている場所だったので会いに行った。実際に目の前にいる坂爪さんに緊張しつつ、質問はありませんか?と聞かれた時に「女性でも家のない生活はできますか?」と聞いてみた。


返事は「できると思います」だった。そうなんだー。とおもった。

 その二つが重なった時にすごく思ったのが、「この家賃もろもろがなければ、ひと月に稼がなければならない費用って激減するなー。バイト苦手だけど3万なら稼げるかもしれない」「家がない生活ってやったことないから不安だけど、やったことないから本当に不安かも分からないなー。坂爪さんができるっていうならやってみようかなー」
 という感じで家を解約することになった。

カゾクノテツガク2

疑問編

 

 絶望しつつも一方でこんな風に思っていた。判断するには材料が少なすぎるのでは?と。

なんとか冷静になって今私が持つべき疑問点について考えてみた。何かにつけ自分で確かめて納得しないと信じないたちである。

 


疑問点1.金がなければ本当に死ぬのだろうか?

 

疑問点1.1家がなければ死ぬのだろうか?
疑問点1.2家にある家具は本当にここになくてはならないのだろうか?
疑問点1.3なぜ個室に住む必用があるのだろうか?

 


疑問点2.期待に応えなければいけないのだろうか?


疑問点2.1大学に行かなければ死ぬのだろうか?
疑問点2.2目標を持って生きなければいけないのだろうか?

 

とりあえずこの様なことについて、正しいか正しくないかは置いておいて自分なりに考えてみた。

カゾクノテツガク1

三年前のある日四角い部屋にてだれかに

 

 

あの時わたしはもうこの部屋で死ぬほかないのだと思っていました。こんなに絶望的な気分になったのは初めてでした。一度見失ってしまうと外に出る理由なんてどこにも見当たらなくなってしまいました。

否、実は初めてなどではなくて、今までずっと抱えていた感情に気付いただけかもしれませんでした。

 別にこの部屋にいたいわけではなくて、むしろこの場所は嫌いでした。目に見えるもの、傍にあるもの、すべてが肌になじみませんでした。なぜ出ていかないのかというと、外に行く理由も特になかったのと、この様な自分が生きていく場所など部屋の外にはないと思っていたからでした。

 

 なぜ私が生きていていいのかというと、親の要求に答えているからだと思っていました。いま、この部屋も、両親からの仕送りがないと私のいていい場所ではありません。いるための条件は家賃が払えることです。生活の軸を他人に頼っていることに恐ろしくなり、自分でアルバイトもしましたが、それだけで生活にかかる費用を全てまかなうことは到底無理に思えました。その上、アルバイトで課される仕事は、ほかの人にとっては容易くても私にとって非常に困難で、回数を重ねるたびに自信が失われ、自分が小さく小さくなっていくのを感じました。

 

 生活費を稼ぐことができないのなら、せめて期待通り大学で優秀な成績を修めて順当に卒業したかったのですが、それもできそうにないということを自覚しつつありました。

 建築学を学んでいましたが、「これが良い」と言われる建物の何がいいのかさっぱりわかりませんでした。自分の思うように作れと言われても、果たして自分が何を思っているのか、何を良いと思っているのか? わからないので、作るべきものが見えたことはありませんでした。いつも自分でもよく分からないものを出して、よく分からない評価をもらいました。今迄の決まった答を出せば丸がもらえたのとは違う世界。価値観という目に見えないもの。良い悪いの基準。すべて曖昧で、何を出しても混乱しました。皆が批評し合っている言葉が異国語のように思えて遠い所に来てしまったような気がしました。実際、実家から遠く離れた北の国に来ていたのですが。

 

 卒業ができないならば、自分自身で収入を得て生きていかなければと思うのですが、その小さな一歩のアルバイトではもはや自信を砕かれていたので前向きになれませんでした。更に、就職となると、スーツを着て、面接をして……?アルバイトでさえこの体たらくの自分に、一体何ができるというのか。面接で聞かれて、この自分を働き手として勧められる意味が、全くわかりませんでした。もちろん働くことなど言うまでもなく。

 

 生きていくための収入を得る手段も、生かしてくれる期待に沿うこともできない。この人間はいったい何なのでしょう?

 

 唯一の生きていく意味は身体を動かすことでした。当時武道を通して得られる気づきが、私に大きな喜びをもたらしてくれていました。身体が教えてくれたのは、様々な秩序の発見でした。このように動けば、こうなる。当時、周りの曖昧さに混乱し悩まされていた私にとってそれはただ一つの道標のようなものでした。こうすればこう動ける。相手に力が伝わる。自分の思い通りに動ける。唯一、曖昧な世界の中で思い通りになることでした。

しかしある時、私は事故で左肩を脱臼し、自由に動けなくなりました。一ヶ月ほど、腕を固定して過ごしました。痛みが与える不安。動かない腕を抱えて、今の自分にはできる護身の術がない無力感。何より、伸びた靭帯は二度と戻らないと言われた時の絶望感。限りなく近いことはできても、思い通りには二度と動かせない身体になってしまいました。

身体にだけは寄せていた信頼はあのとき引き裂かれました。道標はなくなりふたたび全て曖昧さの中に投げ込まれて、私は考え事をしていました。

 

 あの時四角い部屋で私は答えが欲しかった。こうすれば大丈夫という秩序が。何があれば生きていけるのか。